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竪穴住居跡の埋土(まいど)
毎度どーも。

という場合も「まいど」ですが、今回は遺構を生めている土=「埋土」についてです。

遺構の発掘は多くの場合、昔の人が土木工事をした痕跡の調査になりますので、

地面を相手に調査していることがほとんどです。

笹山遺跡の竪穴住居跡の場合、縄文人が掘った穴を掘り返す調査になります。

この掘り返しの過程では、竪穴住居跡を埋めている土(=埋土)の区別が大切になります。

埋土は普通、竪穴住居のまわりから流れ込んできて堆積します。

土は古いほうから順に堆積して上に積りますので、これを利用します。

埋土の中でも下にある土が竪穴住居の存在していた時期に近く、上にある土がそれよりも後のものと考えます。

区別できた土にはそれぞれ遺物が入っていて、時期を知る手掛かりを提供してくれます。

こうして、見ただけではすぐにわからない遺構の時期を間接的に知ることができるようになります。

ところが、埋土はいつも水平に堆積してくれるとは限りませんし、また、いつも遺構全部を覆ってくれるわけでもありません。

だから調査者は流れ込んで堆積した土を区別し、どれがどの順番で堆積したのかを推定する必要があります。

今日の013竪穴住居跡の場合は、大きく分けて3つの埋土が堆積していました。

上から順に、1層、2層、3層とすれば、1層は暗褐色の土、2層は炭化物と焼土をふんだんに含む土、3層は黄褐色の土です。

1層と2層は遺構の全体に及んでいましたが、3層だけは一部にしかありませんでした。

上の画像は013竪穴住居跡を東から見た写真で、おおよそ円形になるはずの住居が手前側で狭くなっているのが分かるでしょうか。

なんとなく、全部掘られていないような形状ですね。

この掘られていないように見える部分が、3層です。

竪穴住居の埋土として最初に流れ込んできた3層は、斜面の上方にあたる、画像の手前部分(東側)だけに及び、より下方にある向こう側(西側)には達しなかったのです。

発掘は、より新しい土から順に古いほうへ掘っていくのがセオリーです。

したがって、この013の場合も、先に1層と2層とを掘って、手前の3層を後で掘るために残しているのです。

なお、十字に残っているのは所謂「ベルト」(畔ともいう)で、土層断面を記録するためのものです。

地層を新しいほうから順に掘る。

こんなことをちょっと知っていると、

現地説明会などで遺跡を見るとき、遺構の内容だけでなく、調査の進捗具合までも知ることができるようになります。

(2013年09月30日)

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炉か柱穴か
道路際で検出されていた、

多量の焼土と炭化物の集中範囲。

これは怪しい、ということでサブトレンチを設定して掘削していたところ、

底面らしき場所に穴があることが分かりました(画像)。

この穴、入り口から底面まで固く締まっていて、

まるで焼け締まったかのようにも見えました。

深さは30センチ程度です。

穴を掘った炉跡だろうか・・・う〜ん。

柱穴ならもっと深いような気もするし、さて・・・・?

これだけを見つめていても全く分からないので、

ベルトを挟んだ反対側も掘削してみると、

もう一か所、同じようなサイズの穴が見つかりました。

これにも硬化した部分が見えました。

どうも、これは柱穴なのではないか、という疑惑が。

道路側の壁にも立ち上がりらしき断面も見えているし・・・。

まだ明確ではありませんが、これは住居跡かもしれない、という期待をもって確認を急いでいるところです。

(2013年09月27日)

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鶏冠(とさか)を洗う
今日は雨で、ほとんど発掘が出来ませんでした。

ですが、ボランティアの方が3名もいらっしゃり、

精力的に参加いただきました。

その後、ボランティアの方々とシルバー作業員さんとの間で、

「「みんなで掘る」のときに見つけた鶏頭冠(けいとうかん)はどうなった?」

との話題で盛り上がり、ついには

「仮置きしてある箱から取り出してみてみたい!」

ということになり、仮収蔵してある箱をあさって、取り出し、ほかの遺物に先駆けて洗ってみたのでした。

あまりにもすごい気迫だったので、こちらもあまり手出しもしませんでした。

発掘したのも洗ったのも同じ方。

やはり、自分で見つけたものの価値は一際、、ですね!

(2013年09月26日)

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土器の清掃、撮影、取り上げ
「みんなで掘る笹山遺跡2013」の折、

掘り残していた土器の全体像が、やっとわかりました。

縄文(文様)を付けた高さ40センチほどの土器1個体が潰れた状態で姿を現し、

周囲には数個体の破片が散らばっていました。

その中には、見たことのない文様の土器も。

なんでしょうか。接合が楽しみです。

土器は「取り上げ」の前にブラシと水で綺麗に清掃してから写真撮影を行いました。

地面から一度離れてしまえば、もう2度と戻りません。

清掃が終わった途端、作業員さんたちが、持ち場を離れて写真を撮りに。

毎日掘っている方でも「おお!」って気持ちになるもの。すぐに取り上げられてしまうとなればなおさらです。

今日はボランティアの方が2名、埼玉からいらっしゃいました。

感謝です。

いま、下に地炉跡があるとわかっている場所の上を掘っていただいています。

「柱穴をみつけたい!」とおっしゃってました。

いいですね、その気持ち。

掘っている場所が住居跡だと分かった時の喜び・・・

味わっていただきたいです。

一緒にがんばりましょう。

(2013年09月25日)

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土偶発見
「これなんでしょうか?」

洗い作業をしてくださっているシルバーの方から

唐突に訊かれました。

洗っている最中に気なったとのこと。

手渡されたものを見ると、それは土偶。

頭の上が平らになっているので、

この地域ではポピュラーな所謂「カッパ形」とされる土偶であることはわかりました。

平らといっても、刺突文がつけられていましたが。

顔と下半身が壊れて失われていたので全体像はわかりませんでした。

折れた腰部分は細いので、下半身はおそらく大きく広がるものではないだろうと思いました。

他方、腕は折れていません。

すると、この「カッパ形」の全体の形は、

頭のお皿と顔をそれと同じくらいの大きさの上半身につけていたことになります。

まるで、三角形土偶の上に頭をのせたような姿です。

なんて奇妙な形。

なお、今日はもう一つ面白い出土品があったので、明日紹介したいと思います。

・・・それを上回る話題がほかになければ、ですが。

(2013年09月24日)

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壁の中
今日は「壁の中の気になる土器」で、ちょっと盛り上がりました。

地面の下ならわかるけど、壁の中って・・・?

これには解説が必要です。

発掘調査には「調査不可能地」というものがあるのをご存知でしょうか。

文字通り、掘れない場所のことです。

調査すべき範囲に指定されていても、その範囲内に安全のためのフェンスを立てると、フェンスの下を発掘できなくなりますね。

また、下へ掘り下げていくと、だんだんと低くなっていき、周りの土の崩落の危険が生じるため、段をつけるか、斜面にする必要があります。これも安全のためです。

この段の中や斜面の中も、当然掘れなくなります。

こうして、調査範囲の中に調査できない場所、「調査不可能地」が生まれるわけです。

調査不可能地は多くの場合、調査区と非調査区との間に生まれ、掘っている側から見ると「壁」として認識されます。

壁の中に残された遺跡です。

「もったいねーなー」

笹山を見に来られる地元の人によく言われますし、実際、掘っている私たちもそう思うのです。

でも安全はすべてに優先するので致し方ありません。

とはいえ、調査員も人の子です。

壁の中から顔を出している土器を目の前にすると、どうしても掘り出したくなる作業員には弱いのです。

今日も、作業員さんの一人が「掘っていいか」と言いました。

例え掘りだすことができても、そこまでにまた新しい土器が出てくれば更に奥へ、そこでまた出ればまた奥へ・・・きりがないのはわかりきっています。

でも、「まあ・・・掘ってみたら・・?」

と曖昧かつ無責任な返事をしつつ、僕はそこからしばらく離れました。

で、しばらくして戻ってみると、、、

それが今日の画像です。

掘っていました・・欲求に勝てなかったんですね(笑)

でも結局、10センチも進まないうちに、土器の続きが尽きてしまいました。

残念な気もしましたが、ちょっとホッとしました。

調査の進捗とはあまり関係のない、今日の出来事でした。

(2013年09月20日)

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遺構か、どうか
今日も013竪穴住居跡の掘削が続きました。

昨日、床面が明確でないらしいことがわかったので、

底面の掘りを少し深くしてみました。

底面と思しき硬く締った土にも炭化物粒子が含まれており、床面はまだ下にある可能性がでてきました。

したがってまだ下へ掘る必要があるかもしれません。

でも現状ではサブトレンチの幅が狭く、深くなると掘りづらいので、とりあえず周囲の覆土を上から2層目の土まで掘り下げることにしました。

広く掘れば、見える部分も多く、情報が得やすくなります。

この013では、さらに東西のサブトレンチを東へ延長して、堆積土壌の再確認を行いました。

まだ途中ですが、サブトレンチでは013に落ち込んでいる土壌がもう1層あることがわかりました。

この層は東の端でせり上がっているので、遺構の端を示しているものと思われます。

ところがサブトレンチ内ではいま、床面直上と思われていた炭化物・焼土濃集層よりも先に形成され、あとから切り取られたように見えています。

だとすれば013は実は新旧2つの遺構が一部重なっていることになります。

まだサブトレンチ内部での所見なので明確なことは分かりませんが、

とりあえず炭化物・焼土濃集層までを掘削してから、再度検証を試みることにしようと思っています。

(2013年09月19日)

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桐の木とのお別れ
本日の調査は、とくに目立った進展はありませんでした。

むしろ、竪穴住居跡013の床面の確認に疑問があり、再検証しているところですので、

少し手戻りというほうがいいかもしれません。

調査というより環境整備のほうにトピックがありました。

平成24年の調査が始まるときに切り倒した桐の木。

切り株が残っていて、地中に張った根からは日々盛んに芽を出したりして、

生命の逞しさを見せてくれていましたが、

本日、さらにその切り株をも取り去りました。

背が高すぎてブルーシートを被せにくくなっていたことと、その下の調査の妨げになっていたからです。

ちょっと寂しい気がしましたが、致し方なし。

調査を無事遂行することを胸に誓いつつ、お別れをしました。

+++

さて、本日は「みんなで掘る笹山遺跡」の参加者の方が1名様、現場にいらっしゃいました。

そしてなんと!ボランティアで調査に加わっていただきました。明日もいらっしゃるとのこと。

ありがとうございます。

発掘調査または発掘体験経験者でご参加を希望される方は、9月〜10月の平日に調査に参加できることがあります。
ご希望の方は博物館の調査担当にお問合せ下さい。


(2013年09月18日)

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埋設土器
先日紹介した「集石」の東側に隣接して、埋設土器らしきものが検出されました。

正確にいうと、もっと前に検出されていたのですが、

今回初めて「半截」して、その状態を確認できました。

意図的に埋めたといえる痕跡は、残念ながら認められませんでした。

でも偶然にしてこのような状態で残されるものでしょうか。

どちらかはわかりませんが、とりあえず埋設したものとして取り扱うことにしました。

この土器は、縦方向の多重の隆線と沈線とで区画されたスペースに

矢羽状(または綾杉状)の沈線が充填(じゅうてん)していますね。

口縁部がないので情報は限定的ですが、

火焔型土器の終末期、ないし直後の時期のものと推定できます。

「塔ヶ崎類型群」の一種だと思います。

最近では「栃倉式」にしようという運動もあるようですが、どうでしょうか。

今後、検討が必要です。

それとは関係なく、取り上げるのはもう少し先になりそうなので、

もしご覧になりたい方は、笹山遺跡へ急げ!

(2013年09月17日)

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柱穴1+2
015竪穴住居跡に残していたベルトを掘りました。

このことで、ベルトを掘る前から予想されていた柱の配置パターンが、より明確になりました。


画像は015を東から見たものです。

ちなみにベニヤ板は中央の石囲炉(いしがいこいろ)を覆っています。

乾燥から守るためのものです。

さて、白線で縁取られた小さい円が全部柱穴です。

まだ全部の線を引いてなく、奥側の9つだけですが、

よくみるとパターンがあることがわかります。

深い柱穴1つを2つの浅い柱穴が挟むパターンが3セット並んでいますね。

 1+2

白線で縁取られていない手前の深い穴の両隣りにも

同じように浅い穴が見られますね。

右奥にある箕(み)の近くにもあります。

浅い穴(というより窪みに近い)の底面はシルト状の硬く締った粘土があって、非常に分かりやすくなっています。

敷いたものではなく、硬い面に水がたまっって、沈殿したシルト質の土が硬くなったような感じにみえますが・・・

これは専門的に分析する必要があるでしょう。

深いものは所謂「主柱穴」でしょうけど、両隣りはなんでしょうか。

主柱を補助する副柱のようなものが規則的に配置されたのかもしれません。

もしもこれほどの数の柱を並べたとすれば、住居内ではまるで壁のようになっていたことでしょう。

不思議な空間です。

復元したらインパクトありそうですね。

(2013年09月16日)

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050集石
遺構番号050は集石(しゅうせき)です。

「みんなで掘る笹山遺跡2013」のときから見つかっていたもので、本日やっと撮影と実測をしました。

集石とは呼んで字のごとく、石が集まった状態の「遺構」のことです。

遺跡の発掘で石が集まっていると、調査者は自然にそうなったのか、

意図的に集められたのかを判断しなくてはなりません。

意図的だろうと思った場合は、集石(しゅうせき)、墓、配石くらいに分類するのが普通です。

このなかで墓と配石は、石の位置関係にある程度規則性がみられることが条件となりますが、そうでない場合は、ほとんど消去法で「集石」に認定します。

今回の集石も、墓や配石の配列が認められなかったので、消去法で「集石」となりました。

そんな消極的な理由で遺構を決めていいのかとお思いになる方もいらっしゃるかもしれませんが、

念のため記録をとるための手続きの一つとお考えいただければよいと思います。

また、こうしたわずかな集石でも、周囲を掘ってみると延々と続いていき、数十メートルに亘る巨大な配石の一部をなしていることが分かった、というレアなケースもあります。

一見大したことのない遺構も、壊してから取り返しの付かないことにならないよう、慎重に扱う必要があるのです。


(2013年09月09日)

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竪穴住居跡022と015
本日は調査区表面のカビ取り清掃作業と、

022竪穴住居跡と015竪穴住居跡の掘削の続きを行いました。

■022竪穴住居跡
昨年掘り残していたベルト(畦)を掘削しました。

上部の2層土堆積層と下部の3層土堆積層に分けて掘削しました。

2層でも結構な量の土器が入っており、本日では終了しませんでした。

来週は3層まで掘り終わって、床面の全容が見えるはずです。

楽しみです。

ところで、昨年度の調査でこの住居跡の埋土からは火焔型土器の口縁部と、

馬高式(うまたかしき)土器「塔ヶ崎類型群」(とうがさきるいけいぐん)が出土しました。

後者の類型群の範疇は研究者間で共有されてはいませんが、

最近のある考えでは矢羽状(あるいは綾杉状)の沈線を施したタイプについては、

火焔型土器とほぼ同時期存在していなかったとされていて、

よってこれは馬高式土器「塔ヶ崎類型群」ではないといいます。

???

では何かというと、これまたはっきり決まった、つまりは共有可能な名前と定義がありません。

困ったことです。

「型式」等に代表されるスタイル分析の理論的枠組みが共有されていないためだと思います。

少々脱線しましたが、この住居跡にはまだ別に面白い部分がありますので、

ベルトを取り除けたら、また紹介したいと思います。

■015竪穴住居跡
カビ取りのついでに、表面を少し厚めに削ってもらったところ、

壁面に少し掘り残しがあることが分かりました。

だから作業員さんにお願いして、その部分を削ってもらうと、

いままで不鮮明だった部分がちゃんとした「ベッド状遺構」だということが分かりました。

なぜ今までわからなかったのか不思議な気もしましたが、

なにかコンディションが違っていて、見えにくかったのかもしれません。

とにかく、掘ることが出来てよかったです。1年越しの成果です。

もうひとつ。

この015の床面には土器敷きの石囲炉があり、その外側に015-011という炭化物集中があります。

出入口の真下です。

画像はそれを半截(半分だけ掘ること)したところです。

底面は薄皿状の窪みでしたが・・・なぜ出入り口付近なのか、さっぱり分かりませんでした。

とりあえず土壌サンプルを採取しておきました。中に何か入っているといいのですが・・・。

■発掘って・・・

発掘はしばしば「掘れば分かる」式の宝探しのようなものと思われがちですが、必ずしもそうではありません。

発掘を進める中で次々現れる新しい事態を前にして、次に何を明らかに出来るかを考えながら、

そして「あれはないのだろうか」と特定の情報を集めるために目的的に掘る。

こういう、いかにも「調査」という場面がたびたび訪れます。

発掘の本当の醍醐味はそこにあるんですね。

竪穴住居跡ひとつとってみても、上のように考えることはいくつもあります。

みなさんにも、それぞれの視点でエキサイティングな部分を発見してもらえたらと思います。

(2013年09月06日)

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S/U区ベルト掘削
訳の分からない題名ですみません。

これは要するに「ある場所を掘ったよ」ということです。

以下、単語解説++++

<S/U区>
平成23年度の第8次調査時に掘った調査区にはS区とT区があります。

平成24年度はこのうちS区の補足調査と新たなT区を掘りました。

平成25年度にはU区を掘りました。

S区とU区とは隣り合っていますが、その間に掘っていない境界範囲があります。S/U区とはそういう意味です。

<ベルト>
S/U区の間に残っていた範囲は細いので、ベルトと呼んでいます(畦ということもあります)。

<掘削>
発掘を意味する別称です。なぜ発掘といわないのか、僕にも良く分かりません。

もしかすると、管理支援業務を外注するようになってから土木用語が流入したものかも・・・?

++++

さて、1層(表土)から残っていたベルトは人力で掘りました。

表土を人力で掘るのは久しぶりで、ちょっと懐かしい思いがしました。

というのは、平成の世の中において、表土の掘削は普通ユンボでやってしまうからです。

これとの対義語で、本日の表土掘削のように人力でやり遂げる発掘は「昭和の発掘」といいます。

当たり前ですが、昔は全部人力だったんですね。

昭和の発掘は本当に大変ですが、どこか牧歌的な雰囲気が漂うのが常で、私はわりと好きです。

成果はあまり期待してなかったのですが、いくつか意表をつくものが出てきました。

15世紀くらいのものでしょうか・・・鉄釉のついた陶器の破片と、断面四角形の古い釘。

笹山遺跡はこの地域にとっては中世の貴重な遺跡でもあるのです。

調査している僕自身、そのことを忘れてしまうことがあります。

心ひそかに、ちょっと反省した一日でした。

(2013年09月05日)

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発掘調査再開
雨等の影響で少しずれ込みましたが、また始まりました。

ブルーシートの上の水を出してから、ベルトコンベアを設置。

向こうで組み立てているのは「馬台」(うまだい)です。

馬台は廃土山(はいどやま)に土を運んでくれるベルトコンベアの

最後の1本のお尻を乗せる台です。

ベルトコンベアは土を自動的に運んでくれる便利な機械ですが、

なにせ水平方向にしか運んでくれませんので、

そのままにしておくと運んだ先で土が詰まってしまいます。

だから、お尻を上げて、土が下に落ちるようにする必要があるわけです。

もちろん、この土もそのままにしておけば山になってしまいますから、

最終的にはユンボ(ショベルカーのこと)ですくって、

後ろの廃土山に積み上げていくのです。

人間―ベルコン―ユンボの連携作業です。

さて、今日はブルーシートを2週間ぶりにめくったわけですが、案の定、土にはカビがいっぱい!

白いカビ、黄色いカビ、ピンクのカビ・・色とりどりです。

カビにもいろんな種類があるんですね。

なんて言ってる場合じゃありません。

午後はこのカビを除去するのに費やされてしまいました。

明日は、晴れればこの作業の続きになるでしょう。

なお、このカビ取り作業中に遺構016(竪穴住居跡)で柱穴を1つ発見しました。

壁際から僅かに出ていただけだったので、今まで気づかれなかったのでしょう。

遺構016これで柱穴が2つになると同時に、竪穴住居の出入り口の方角が確定しました☆

(2013年09月04日)

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