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大井田城跡

十日町市中条下町(なかじょうしんまち)の東側にそびえる城山(じょうやま)の山頂にあります。

残念ながら、この城の築造年代や創建者などに関する史料は残されていませんが、南北朝時代に越後新田一族の中心勢力であった大井田氏の本拠と伝えられています。大井田氏は、上野国(こうずけのくに)の名族新田氏一門で、大島義継が上野国新田庄大島郷から越後国妻有庄大井(田)郷に土着して大井田姓を名乗ったことに始まるといわれています。

この城は、西側に向かって扇状に広がる斜面を利用して築きました。南北に深い谷があり、東側は狭い尾根に連なり、西側は比較的なだらかな斜面となっています。

標高300mの山頂に一辺約30mの三角形の主郭(櫓台)があり、その東側の尾根に2本の空掘を掘って背後の防備を固めています。主郭の西側には、2列3段の郭を階段状に積み重ね、その外側に2段の帯郭(おびぐるわ)を巡らしています。南側の急斜面には畝形阻塞(うねがたそさい*)と呼ばれる9条の空掘を連続して設けています。

このような各種施設の種類と形態から、室町時代後期から戦国時代に使用していたことがわかります。

なお、城の麓にある坪野館跡(つぼのやかたあと)と笹山遺跡はほぼ同時代の館跡がみられ、大井田城跡と何らかの関連がうかがえます。

山頂の主郭跡には、大井田同族会による顕彰碑などが建てられています。

昭和53年(1978年)3月31日に県の史跡に指定されました。

40筆、面積92,996㎡。

*畝形阻塞・・・掘った土を掻き揚げて構築した縦長の土塁状の防御施設

  1. 種別 史跡
  2. 名称(読み) 大井田城跡(おおいだじょうあと)
  3. 記号・番号 史・第58号
  4. 所在地 十日町市中条字花水沢乙1-237・242・243・244・245・246番、字城山乙1-535・536・537・538・539番、540番の1・2、541・542・547・573・574・575・576・577・578・579番、580番の子、580番の1・2、582・587・647番、字栃川乙1-653・654・655・656・657・658・686番の1・687・688・689・692番
  5. 所有者 十日町市
  6. 指定日 昭和53年3月31日